松本良順~松本良順~天保3年(1832)6/16~明治40年(1907)3/13.12日説有。 幕臣。佐藤泰然の次男。 松本良甫の養子(女婿)。後順。 長崎でポンペの医学伝習を受け、帰府して将軍侍医。のち西洋医学所頭取。 戊辰戦争には会津に走り負傷者の治療と現地医師への講義に務めた。 宇都宮で負傷、会津で療養していた土方さんの治療もしてくれた。 桑名藩士石井勇次郎は「傷者此医ノ手ニ触テ癒サル者ナシト言」と記す。 会津籠城後は仙台を経て横浜で自訴。 謹慎・放免後は陸軍軍医総監・貴族院勅撰議員など。 海水浴を始めたのもこの人と言われている。 本邦初の私立病院を設立した。 男爵。 大磯妙大寺に墓、鴫立庵(しぎたつ)墓碑。 新選組とも付き合いは深く、西本願寺の屯所を訪れ病人の多いのに驚き「病室」を指導。 その時土方さんの手際のよさに感動。以来信頼を深めた。 近藤さんが狙撃されたときも治療に当たり、沖田さんの最後の療養先を紹介したのも此の人。 のち資金の調達をしてくれたり、人を手配してくれたりと「本当に医者か?」と言うほど剛毅な人。 戊辰後、永倉新八が板橋に碑を建てたとき資金協力してくれたり、日野に碑を建てるときにも尽力してくれた。 明治の世にあって賊軍扱いの新選組をかばい続けてくれた人。 |